自己紹介
自己紹介とコンピュータ歴とか。。。
プロフィール
氏 名 : 本郷 哲也 (ほんごうてつや)
性 別 : 男性
血 液 型 : B型
職 業 : ソフトウェアエンジニア
コンピュータ歴
- 最初のパソコン
- 初めてのパソコンは中学2年生の時で日立の「ベーシックマスターJr(ジュニア)」。
- Basic言語が使えるだけのコンピュータで外部記憶は音楽テープでした。 当時はハードディスクなんて物は個人で買えません(売ってもいませんしw)でしたし、フロッピーディスクも8インチが使われていた時代ですからパソコンには利用されておりませんでした。
-Basicプログラムのロードに30分位かかる代物でした。(^^;)
その上、1回途中で終了するとロードからやり直しw - このパソコンでBasic言語に初めて触り、プログラミングに目覚めました。
-ありがちですが、「バイオリズム」や「競馬予想」のプログラムを作ってましたね。
- AppleIIc
- 国内ではBasicで作られたテキストキャラクタ(記号とかの文字)が動くようなゲームがあるくらいで殆どが白黒の粗末なものばかりでした。 その後、ビットマップグラフィックを使ったゲームも出てきましたがしょぼかったですね。
- そんな中、出会ったのが「AppleIIc」でした。 当時、最も成功していたパソコンでその名の通りアップル社が開発・販売していました。
- AppleIIシリーズでは信じられないようなゲームが揃っており、当時の私にはそれはとても魅力的に映りました。 カラーのビットマップグラフィックが動くだけで憧れましたね。(^^)
<AppleIIのゲーム達>
①ウルティマ:俯瞰型RPGの元祖。 ドラクエがパクったゲームw
②ウィザードリィー:ダンジョン型RPGの元祖。 いろいろとパクられてましたねw
③ロードランナー:有名はアクションパズル。(三日三晩徹夜して150面クリアしましたw)
④上海:定番パズルゲーム。 「二角取り」作成のヒントになったゲーム。
⑤ピンボールコントラクションセット:ピンボールの台をデザインでき、遊べるゲーム。
-画面に反射板やレーンをジョイパッドで書くとその画面で遊べる。 一番驚いたゲーム。
<その他、ソフトウェア>
①VisiCalc:世界で最初の表計算プログラム(Basicで作られてました)
-このソフトを使いたいだけの理由でAppleIIがビジネスマンに売れたのは有名な話。 - 上記は私が実際に遊んだゲーム達で今も大事に保管しております。
-その内、値打ち出ないかなぁ~w - 今見ても現在までその流れが続いているものばかりで、当時初めて遊んだ時の驚きが分かっていただけると思います。
- AppleIIc での素晴らしいゲームとの出会いから憧れるようになり、それにはBasic言語だけ無理でしたから初めて「Merlin(マーリン)」と言うアセンブラ言 語を買いまして、独学でプログラミングを学びました。 試行錯誤しつつゲームやエディタとかを作成しました。
-これが私のスキルの土台になっていると思います。(^^)
- Macとの出会い
- AppleIIcを所有していた関係でアップル商品を取り扱うお店(梅田ハミングバード,日本橋ボルタックとか。懐かしいw)に毎週の様 に出入りしてまして、そこで初めて「Macintosh 128K」と出会い、その見た目の衝撃と先進性にショックを受けました。 まさにノックアウト状態w
- 現在では当たり前になっている「マウス」や「ビットマップCRT」,3.5インチフロッピーディスク(Macで初めて採用された)が小さな筐体に詰め込まれ、それが魔法の様に動いている様子はまさにカルチャーショック以外の何物でもありませんでした。
-まさに「開いた口が塞がらない」状態でしたねw - ちょっと大袈裟かも知れませんが9インチの小さな画面でしたが「無限」の可能性を感じました。
- Finder(Windowsではファイルエクスプローラの役割)ではファイルがアイコンとしてウインドウ内に鎮座しており、それをマウスでクリックして移動させたり、コピーしたり出来る。 今では当たり前の操作が当時は衝撃的でした。 ファイルが摘めるんですからw
-当時のMac以外のパソコンはDOSコマンドで「copy ~」とかしか出来なかった。 - 標準搭載されていた「MacPaint」ではマウスを使って線や図形をウインドウ内に描けましたし、「MacWrite」ではいろんなフォントを混在させて簡単に字体を変えて文章を作ることが出来ました。 DTP(デスクトップパブリッシング)ってな言葉も出来ました。
-日本製パソコンではROMに内蔵した1種類のフォントしか表示できなかった時代ですからw - Macintoshの衝撃は世界のプログラマー達を引き付けたみたいでいろいろと素晴らしいソフトウェアがリリースされました。
- しかし、値段が高かった。(^^;) 軽自動車1台位が買える値段でしたから。。。
-本体が78万円だったかな。 - 当然、当時の私に買える訳も無く、実際に手に入れるのは社会人になってからになります。
-初めて買ったのは「Macintosh Plus」でメモリが拡張して2Mバイトだったっけ。
それに20Mバイトのハードディスクを付けて60万円位したかなぁw
-その後は5年おき位にMacを買ってましたね。(^^)
①Macintosh Plus 1MHz
②Macintosh IIci 25MHz
③Power Macintosh 7600 132MHz
④PowerMac G4 733MHz
⑤PowerMac G5 Dual 2.3GHz
⑥MacBook 2.4GHz Intel Core 2 Duo - Black - そしてMacintoshでのプログラムにはまり込んでいきました。
<私のMacintosh開発環境の変遷>
①Lightspeed C
・C言語でウインドウを開けたり、カーソルを動かしたり出来るだけで感動してましたw
②THINK Pascal
・当時のMacOSのベースがPascalだった事でサンプルソースもPascalが多く、情報量的
にもPascalでのプログラミングが適していましたのでPascal使いに。
③CodeWarrior C++
・その後、MacOSの進化と共に開発環境もPascalからC++言語に移り、当時最高の
オブジェクト指向フレームワークを使いたくて、今度はPascalからC++言語へ。
④Cocoa
・ルーツは当時Appleを追われたジョブスが作った「NeXT」コンピュータ。
当時の会社で社外セミナーで初めてNeXTに触れた時には初めてMacを使った時と同じよう
な感動を覚えた事を記憶しています。 NeXTは普及はしませんでしたねぇ~(^^;)
・現在入手可能な最高の開発環境だと思います。 素晴らしいです。
- 仕事でWindows
- 私も何とか学校を卒業し、某証券会社のコンピュータ会社に無事就職しコンピュータを飯の種にすることになりました。
- 当時はメインフレーム(大型ホストコンピュータ)が全盛でパソコンは会社にも導入されておらず、タイムシェアリング端末からホストコンピュータに接続して開発するスタイルでした。
- 当時の開発ではCOBOL言語かアセンブラしか開発手段が無く、私は技術系部署に配属になった関係でアセンブラでの開発に10年以上従事しておりました。
-AppleIIcで培ったアセンブラ知識がこんなところで役に立ちましたw - 就職後、Macintoshを初任給+ボーナスで購入してMacintoshでのプログラムも平行して続けておりました。
-その時初めて作成したのが「二角取り」です。(^^) - 入社から数年経った時に会社にもパソコンがツールとして導入されるようになり、私はパソコンに詳しかったんでPCの導入・管理責任者も兼ねることに。。。
- 当時主流になりつつあったIBM互換PC(DOS/V機)の導入・サポートを通して初めてWindowsに触れました。
- 当 時のWindowsはバージョン3.1でしてOSとは呼べないような「クソw」でして、実際OSはMSDOSが稼動してその上でWindows3.1が シェルとして稼動する形式で、ファイル操作を行う「ファイルマネージャー」とプログラムを起動する「タスクマネージャー」が別のソフトウェアで用途に応じ て使い分ける必要があり、Macintoshを知っている私には全く陳腐で使い物にならないもので「評価にも値しない」ってのが感想でした。(^^;)
- Macと共に。。。
- Windowsですが現在は使い易くなっていると思いますし、実際私もWindowsを使っている時間の方が長く、今では9:1位にもなっております。(^^;)
- 現在は以前勤めていた会社も辞め、小さいながら会社を立ち上げシステム開発を生業に仕事をしておりまして、その仕事ではWindowsがメインとなっております。
-ゲームコンテンツとしてはMacintoshも引き続きサポートしておりますが。。。 - しかし、プログラマーの心をくすぐり、刺激を受けることはWindowsでは有り得なく、今でも私にとってはMacintoshが最高です。 プログラマー心を煽り、感動を与えてくれます。(^^)
- いつまでもMacintoshと共に。。。